初めに。
30代会社員。
工場勤務・営業・経理・海外勤務5年間(ベトナム)を経験。
海外勤務時にコロナによって工場隔離で3ヵ月寝泊まり対応をしました。そのときに誕生日を迎え、今の会社に対する思い・働き方・将来について見直すきっかけとなりました。
海外勤務から帰任後、退職、学習、30代で未経験業界のSEへ転職。
前職での10年間
私は前職で大きく分けて5種類の仕事を経験しました。
1. 工場勤務
- 製品の目視検査、検査機の操縦、検査工程の前での品質確認(約1年半)
- 仕事に慣れ始めた頃、確認漏れの失敗をする
- 仕事は慣れた頃に注意が必要なことを学んだ
新入社員として工場勤務からスタート。
当時は現場を知らないと仕事ができない、という方針で約1年半現場で仕事を行なう。仕事内容は製品の目視検査。途中から検査機の操作方法を覚えて機械を操縦する。
その後、検査工程の前工程で品質異例確認をする試みに選ばれ仕事をしていた。前工程で製品仕掛中にサンプリング検査を行なっており確認工程が多く大変だったが対応できていました。
しかし、仕事に慣れ始めて確認範囲が狭くなったとき検査漏れで不良品を見逃すミスをしてしまった。慣れ始めて気が緩んだことが原因でした。
2. 営業
- 既存と新規のお客様へ訪問(約3年間)
- 言葉遣いで失敗、上司に諭されて言葉遣いの大切さを学ぶ
- 営業も慣れ転職を考え始めた頃、社内で海外勤務の応募が始まった
工場研修も終わり社会人2年目から営業を3年間行います。
異動して間もない頃、打合せ中に聞いていない話をお客様から出され責められ理不尽を味わい反抗してしまう。その場は、お互いの上司もいたので何とか収まりました。
打合せ直後、上司から「事情は分かるが、あのような言葉遣いではダメだ。丁寧に対応するように意識して」と言葉遣いについて指摘を受けた。その時の諭し方がとても響き、今にいたるまで会話では丁寧さを意識して話をするようになりました。
営業2年目以降、サービス残業で数ヶ月終電帰りが続きボロボロになりながらも乗り越えて成長しましたが、その一方で転職を考え始め3年間営業を経験したら転職しようと決意しました。
そのような時に、社内でベトナム子会社へ海外勤務を希望したい人の応募があり、夢だった海外勤務へ応募、そのあと面接を繰り返し自分に決まりました。
3. 経理
- 海外勤務に向けて実務を知るために日常業務を行う(約半年)
- 最終条件の簿記検定不合格という失敗をする
- 追い込まれる前に進めておくことを学んだ
- 帰任後、仮配属後に経理へ人員補填で異動になる(約3ヵ月)
社会人5年目。数か月後に海外で経理業務を行うために日本の経理で実務を経験。
VISAを取るため簿記3級の証明書が必須でしたが、一度落ちるという失敗・・油断と異動直後での時間不足が原因でした。後ほど知りますが試験は稀に見る難問だったとのこと、知らない私は試験後数日は寝込んでしまいました。
二度目の試験までは、簿記2級も学ぶために仕事後に簿記学校へ通い1回90分×週3回、帰宅後も1日平均3時間の勉強。
またその頃、並行で英語スクール通い1回40分×週4回、帰宅後1日平均1時間の勉強。二度目の試験は絶対に落ちれないというプレッシャーで毎日腹痛が・・
最初の一度目で合格できていればと後悔、追い込まれる前の心に余裕がある時に何事も終わらせておくのが大事だと痛感。(無事2回目は合格しました。)
※帰任後の本配属での経理業務は、日繰り表の管理・入手金の対応・税金の支払い・手形や小切手の対応・銀行への訪問・請求書会議への出席でした。
4. 海外勤務時代(ベトナム)
- 経理(月次決算の早期化等)、システム管理、内部統制資料作成(5年間)
- 言った言わないの失敗、伝えること聞くことの本当の意味を学んだ
- コロナ禍を経験、工場隔離を経験して人生観が変わった
社会人6年目の初日から海外勤務スタート。コロナの影響で3年位の任期が5年間に伸びました。
私のポジションは日本人の前任者がおらず経理関係で使用している資料やシステムの信憑性の確認から始まる。
一番大変だったのは言語。私も相手も基本的には第二言語である英語で意思疎通をしていた為、お互いの話していることの重要性がしっかりと伝わらないことが多かった。
日本人同士でも100%相手の話を理解するのが困難な中で、言葉の壁があるとそれがもっと難しくなり期限までに仕事ができないことがあった。
相手が理解していないのに、一方的に相手に話して「伝えました」は伝わったとはならない。大事な話しほど説明後に相手に内容を復唱してもらうことが大事です。最後の頃はベトナム語を学習して会話をすることで仕事がスムーズになった。
ロックダウンを経験、工場にも寝泊まり対応することで転職について考えることになりました。
5. 経営企画(仮配属)
帰任後、3ヵ月間は日本の業務に慣れさせるためにと経営企画に仮配属となる。
月次決算分析、内部統制資料、文書作成など過去の経験を活かせながら働ける状態でした。
そんな中、経理部で退職者がでるため人員不足になるということで私は人員補填で異動することになりました。
私以外の帰任者は経験を活かして活躍している中での異動、そしてこの異動先はとても酷いもので私は早々に見切りをつけて退職・転職へと進んで行くこととなりました。
帰任後、次のステップに向けての動く
- 海外勤務5年間を経験。
- ベトナム語を初級レベルを覚え、マネージャーとして業務管理とプレイヤーを兼務していた。
- 帰任後、他の海外経験者は新たな部署に移動しつつ経験を活かせる業務に就けたが、私は人手不足となっている経理部へ人数補填のような異動となった。
海外勤務から帰任したらエリートコースでは?と思われるかもしれませんが企業によって異なり、ひと昔前の話です。30代で未経験業界にチャンレンジを始めました。
転職を考えた経緯
工場隔離時に人生を振り返ったり、将来について考えていました。
そのときに、IT系の仕事で働きたいと強く思いつつ、帰任後の将来性も考えていたので踏みとどまっていましたが、海外勤務での経験を活かすことのできる部署への異動は叶いませんでした。
簡単な道ではないことは理解していますが挑戦することにしました。
プログラミングスクールで学習
挑戦するとは言っても、まずは知識を得るためにプログラミングスクールに通いました。
そこでは、カリキュラムを計画通りに進めて行き、最後はアプリを作成して卒業となります。
学習修了後は、転職活動のサポートも受けられます。
学習中は過程を発信する
学習過程の発信が重要とのことで、このブログ以外でも転職・未経験エンジニアに向けた新たなブログとSNSを作成して行動しました。
このブログを更にパワーアップさせていく
以前は「海外勤務」に対する特化ブログでしたが、人生の引き出しが増えたので「退職・転職・新たな業界」の事について新たに発信していきます。
過去の海外勤務に関する記事もリライトしながら更新していきますので改めて宜しくお願いします!
【その他】私の雑記のようなもの
大好きなコーヒーを制限
同じ境遇の人はいると思います。
私は1日4~5杯、水のようにコーヒーを飲んでいましたが、カフェインの過剰摂取のような症状が出ていたのでカフェイン断ちを一時期しました。カフェインの過剰摂取によって「動悸・疲れ・だるさ・ストレス・軽い不眠・胃痛・自律神経の乱れ」が表れます。
そのため、カフェイン断ちをして、中毒症状として2~3日目から寝起きの悪さ(疲れ・だるさ・片頭痛)が出るようになり日中は非常に眠かったですが、1~2週間がピークで段々と症状が緩和していきました。
今では1日1~2杯になり、それ以上飲むと気持ち悪くなるようになりました。一気にカフェイン断ちは辛いのでカフェインレスのコーヒーなどで徐々に減らすのがオススメです。
【大人の歯列矯正】海外勤務で外国人の歯並びがキレイすぎ
私はもともと歯並びは悪くはありませんでした、でも凄いキレイという訳ではありません。
自分では特に気にしたこともなかったのですが、海外勤務となり外国人がキレイで白い歯で笑っているのを見ている内に、自分の歯並びがきになってしまいました。恐らく年齢によって、過去から段々と歯並びも変化していたのだと思います。
大人になってからの歯列矯正も周りの目が気になって一歩踏み出せませんでしたが、インビザライン(透明なマウスピースのようなもの)でも対応できる歯並びだったのと、コロナ禍に入り常にマスクをしている日常になったので思い切ってやり始めました。2022年から始めて2024年中に終わる予定でいます。
最近は大人で歯列矯正している人も増えているようです、歯並びが気になっているのであればキレイな笑顔で笑えるようにするために検討してみてください!私は今、前より歯を見せて笑うようになりました。
経理業務を経て、自分の収支の予実管理をするようになった
私は経理業務で「資金繰り・資金計画・次年度予算・3ヵ年予算」の予実管理をしていました。
その影響からエクセルで表を作り、自分の収支を1年分作成するようになりました。このおかげで1ヵ月の支出をしっかり把握するようになり、貯金もしっかりできるようになりました。
海外勤務のときに実施し始めたおかげで貯金をある程度でき、帰任後の転職活動時にお金への不安はなく行動することができました。将来、なにがあるか分からないので是非オススメです!
スキルアップのために学習、大事な習慣化
私が社会人になり、何度も悩み・苦しみながら乗り越えたときに辿り着いた答えです。
3つの心構え「スモールステップ・スケジュールの余白と柔軟性・完璧主義をしない」が大事で、モチベーションに頼らずに習慣化で乗り越える必要があります。
長期になるとモチベーションは下がり、反対に習慣化は2週間以上続けると出てきます。モチベーションはあったらラッキー程度で捉えて学習をすること。
【シンプリストの考え】海外への引っ越し、数多くの海外旅行を経て
昔はモノが多かったのですが、数多くの引っ越し・好きな旅行・コロナ禍で人と合わなくなった経験からシンプリストの考え方になりました。
まずは使わないモノは捨てました。シンデレラフィットはやりません、もともと限られて収納スペースに収まる量のモノにします。そして、連絡しなくなった連絡先は少しずつ消していくようにしました。特にグループラインが残っていて使わないモノは片っ端から消していきました。
モノが減ると身が軽くなりスッキリするので断捨離オススメ。
シンプルでゆる〜いLINEスタンプ作成してます
ゆる~いLineスタンプを自作しました、絵を書くまではできていません。
作成した経緯は、子供のころの夢でデザイン関係の仕事がしたいと思っていましたが特別なことはしていませんでした。
そんな中で、Lineスタンプ作成を見つけて自分のことを表現できるので面白そうと思い作成し始めることにしました。また、自分の経験から「こんなスタンプがあればいいな」と思うものを作りました。
ベトナム語に関するスタンプを作成しました。下記、LINE STOREのURLで内容を確認できます。
https://store.line.me/stickershop/product/22071896/en?from=sticker
海外での「あるあるネタ」とを作成しました。すでに経験している人なら伝わること間違いなし!下記、LINE STOREのURLで内容を確認できます。
https://line.me/S/sticker/22155441?_from=lcm
数種類作成しているのでみてください。スタンプ作成は不定期でゆるく進めて行きます。
このブログにログインができないときがあった
WordPressのログイン確認画面が表示されなく記事が作成できない時期がありました。現象としてはログイン・ログアウトがなく、パスワードを入力する画面も表記されないです。
何度も発生しており、都度調べて対応していましたが、あるとき初心者の私が変に変更してデータが消えかけてしまい焦りました。※バックアップで助かった。
この404の原因は、閲覧履歴のキャッシュとcookieの問題・プラグインの問題・プログラミングコードの問題があるようですが私には当てはまりませんでした。
最初の対策としては、ConoHaのコントロールにログインして「サイト管理→サイト設定→応用設定→.htaccess設定」のコード「RewriteRule ^wp-admin 404-siteguard [L]」を探して削除したところ直りました。
その後に分かったことですが通常は、http://〇〇〇〇(設定したドメイン名)/wp-login.php、http://〇〇〇〇(設定したドメイン名)/wp-admin で、ログイン確認画面がでます。
しかし、最初のブログ作成の段階でURLの末尾にランダムで文字を追加してもらう機能があり、それを設定していたことでURLが全然異なっていました。これは、その人だけのURLで調べても出てこないです。
ホームページの「お問い合わせ」機能
ログイン画面表示のために、色々いじっていたら「お問い合わせ」が使えなくなっていました。バックアップでも戻らず、何度試しても使用不可。
最終的には「WP Mail SMTP」をプラグインすることで何とか使えるようになりました。
帰国後、ベトナム料理が食べたい!
現在、東京に住んでいるのですが「浅草」などにベトナム料理屋さんがあるので何度が通っています。味も本場の味でベトナム人のお客さんが多いです。
また、代々木公園で年に何回かイベントが行われており、その中でベトナムの文化や食事を展示しているので時間があうときに行きました。こちらは味付けが若干日本人向けになっているようでが美味しかったです。日本でも食べられるので嬉しい限りです。
ポートフォリオ
今後、追記。
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